昼下がりのひと時に、ブランディのPizzaiolo di capoのエンツォと・・・ 初ナポリのピザ生地は、彼に教えてもらいました。 そしてピッツァ仲間と 愛するイタリアンスタイルのピッツァを通じての仲間です。 和気藹々!! 会場に移り、それぞれ手分けで生地の仕込み時間です↓ エンツォも、その家族と到着です。 ブランディの生地の仕込み と、その向こうはダ・ミケーレです。 このデカイのが、ダ・ミケーレの若旦那です↓ 会場でのDA MICHELEのスタンド エンツォに「ユカタ」を着せたら、私たちのスタンドで・・・ ナポリでの最初のマエストロと・・・ こんなピッツァも作りました。 10年は、それなりに長いのか短いのか・・・? まだヒゲのない私が、こんなだったかな?と、・・・ 19年前にこの業界に入って、ずーーーと北イタリアスタイルのピッツァの中に居て、変な話ですが南のピッツァと言われるものは、日本でしかまともに見ることの出来なかった私が・・・ 北には毎年行かせて貰えていたのですが、南に行くチャンスが無かったのですよ・・・ モンモンとしていた時に所属する会社が、サレルノのフェスタに招待され、社長の弟さんと私の2人が参加することとなり・・・ ちょうどピッツェリアを開業しようとしていたご夫婦と、福島でピッツェリアを開業したばかりの私の友人と、5人で参加しました。 ナマのナポリスタイルには、この2000年からの付き合い?になりますね。 Milano/Caorleに、それぞれマエストロが居ますが、Napoliの最初のマエストロはエンツォと言うことになります。・・・今は、他にも居ますが〔笑〕・・・ そしてイタリアンスタイルのピッツァにはまってしまった今、皆さんにも日本とイタリアをより身近に感じて頂きたく・・・春のパルマのピッツァの世界選手権参加と、夏のカンパーニャのピッツァのフェスタ参加が私のライフワークのようになり、今に至っています。 この業界に入って20年近くなりますが、最初の頃は「ピッツァが通用する世の中になればシェフはやってないよ」と言う、シェフが結構いたことが思い出されます。 当時はイタリアンがイタメシと言われていましたし、ピッツァよりもパスタの方が市民権はありましたしね。。 良い時代になってきました。。
by t2cosmo
| 2010-07-12 01:01
| pizza
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